東京に出てきた友人が東京の新聞を見てあることに驚いたそうです。
「死亡広告がない!」って言うんです。
思わず、「お悔やみ欄なら最後のページの下にあるよ」と教えましたが、その子はそれを見ても驚いていました。「これだけ?」と。
これだけって、こんなのどこぞのお偉いさん関係しかないじゃんと思っていたのですが、どうも話が噛み合わず。
多分死亡広告っていう単語自体が東京の人には馴染みがないものだと思います。
友人の言う死亡広告とは一体なんだったのか。
そして、それはどのように載るのか。
内容と仕組みを調べたいと思います。
目次
【死亡広告】よく見るお悔やみ欄
亡くなった人が新聞に載ってるのって、1面を飾るような大物でも無い限り、新聞の最後の方のページの下の方に「お悔やみ欄」として載ってるものですよね。
実はあれは死亡広告ではないんです。
あれは「死亡記事」と言うそうです。
死亡記事は新聞社が独自に掲載を決めているもので、特に遺族からの申し出があったから載せているわけではないのだと言います。
逆に遺族からの申し出で載る訃報が「死亡広告」と言うそうです。
死亡記事では、各新聞社で多少の内容の違いはあるものの、故人の氏名、死亡時の肩書や専門分野、縁故関係、死亡日時、死因、死亡場所、年齢、出身地などの基本的事項が書かれます。
それに加えて葬儀日程が載っていたりします。
どこかの政治家の親族や大企業の元社長さんやその関係者なんかがよく載っていますよね。
この場合は新聞社からご遺族の方に連絡が行って「載せても大丈夫ですか?」と聞かれるそうです。
それで遺族の意向で最終的に載せるかどうかが決まるそうです。
こういう人の場合は関係各所に伝達するのが大変なので、新聞を使うことで大勢の人に知ってもらうことが出来るというメリットがあります。
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死亡広告は?
では、死亡広告は死亡記事と何が違うのでしょうか?
大きな違いは、遺族が新聞社に載せてほしいと依頼をするということと有料であるということです。
死亡記事は新聞社が載せようと思って載せるものなので無料ですが、死亡広告の場合はお金を払って紙面を割いてもらうことになります。
金額は新聞によって違います。
読売新聞・朝日新聞などの全国紙に大々的に載せるとなると、小さくても15万円~25万円くらいかかります。
結構な金額ですよね。ですので、滅多にお目にかかることはありません。
私なんかがあまり死亡広告に馴染みがないのはこういうことも理由の1つと思われます。
地方紙になると、もう少し金額は安くなります。
新聞社によって料金が異なるので一律には言えませんが5万円~10万円程度です。
友人が言っていたのはこの地方紙に載っている死亡広告の事だったようです。
実は沖縄や北海道ではこの死亡広告はよく使われていて、1面に収まらず2面使われることもあるようです。
見たことのない人にとっては、衝撃のものだと思います。
私も話を聞いて「マジか!」と思いました。
そこには土地柄が強く現れていて、地縁や血縁をものすごく大切にしていて、その結果どんな小さな縁でもあれば参列するためこのように多く紙面に載るようです。
特に沖縄では身内がなくなった時は電話などでは連絡せずに新聞に記載をしてもらって知らせるというのが一般的だそうです。
ちょっと驚きですよね。
死亡広告は必要か?
新聞購読者自体が減っている現代では、新聞広告を出すというのはあまり合理的ではないのかもしれません。
けれど、それを見た人が友人や関係者に連絡をしてくれる可能性もありますので、一概に必要ないとは言えないでしょう。
けれど、沖縄と北海道を除くとほとんどのところで見られないことを考えると、今後もその地方以外では根付く文化ではないのかもしれません。
それに毎日死を確認するというのが私にはどうしても受け入れられず…。
文化の違いと言えばそれまでなのですが、あくまで私はですが、死亡広告を毎日見なくていいというのは気持ち的に楽なような気がします。
死亡広告とはちょっと違いますが、Facebookに追悼アカウント管理人を設定することが出来るシステムがあります。
つまり、自分が死んだ時に、死んだことをその管理人に指名された人が「この人は亡くなりました」とFacebookで宣言することが出来るのです。
友人限定公開ではありますが、その人が亡くなったことを知ることが出来ます。
ある意味では新聞広告のような役割かもしれません。
いつ何があるかわかりません。
もしお願いできる人がいるなら嫌な話ではありますが、お願いしておくのもいいかもしれません。
死亡広告って何?亡くなったことをどうやって知る?まとめ
死亡広告は、見慣れている人にとっては当たり前の文化ですが、そうじゃない人にとっては結構驚きのことだと思います。
私も初めて聞いた時は本当に驚きました。
1面に死亡広告が載ってる新聞が存在するなんて考えたこともありませんでした。
けれど、それだけ縁を大切にしていることでもあるのだと思います。
もし、見る機会があれば、一度見て驚いてください。
あと、載ってる新聞しか知らない人は、載っていないものを見て驚いてください。